日本航空と土気城跡に関する経緯
 1.土気城跡は、8世紀東北地方進出の拠点として築城されたとの伝承もあるが、15世紀から16世紀末まで上総国北東部に勢力をふるった土気酒井氏の居城の跡として知られる。空堀・土塁などの遺構の遺存度は良好であり、また城下集落もほぼそのまま現在に存続しているなど、戦国期の城郭の特徴をよく残す全国的にも傑出した城郭跡としての定評がある。また城主土気酒井氏は妙満寺派法華宗に深く帰依し、領内全域を改宗させたと伝わる(いわゆる七里法華)。その信仰は現在も土気酒井氏の旧領に該当する地域に住む住民多数に生きていることもあり、土気城跡は宗教的聖地としての意味をもつ場所でもある。このようなことから土気城跡は現代にいたるまで地元住民によって大切に伝えられてきた。

2.1970年頃、日本航空は研修センター建設候補地として景勝地である土気城跡に注目し、同地の売却を求めた。地権者・地元住民は、地域にとって重要な城跡であり一般の民間企業に売却するなど考えられないことであったが、国営企業に準ずる日本航空からの強い懇請でもあり、できるだけ城の遺構は壊さない旨、また他の民間人には売却しない旨、同社と地元地権者・地元民との間で協定のうえ、売却がなされ、1971年日本航空研修センターが建設された。松尾静磨日本航空社長(当時)は、自筆の「土気城跡」の石碑を同地に建立した。

3.その後、日本航空は完全民営化され、やがて経営不安がささやかれるに至った。また研修センターは閉鎖された。憂慮した研究者・有識者の団体、千葉県郷土史研究連絡協議会は1999年以降、毎年のように土気城跡を保存するよう千葉県・千葉市等関係機関に要望してきた。2007年には、全国城郭研究者セミナーが土気城跡に関する緊急アピールを決議した。このとき当会もまた土気城跡保存の要望書を各機関に提出した。その後、当会が講演会を開催するたびに数百名規模の参加を得るなど、土気城跡の行末を憂慮する声は市民の間に広まった。全国的な学術団体である日本考古学協会も土気城問題に強い関心を寄せている旨、表明するに至った。

4.2008年2月7日、当会理事4名は、宮野光正千葉市教育委員会生涯学習部長(当時)に面談し、土気城跡の保存を要請した(千葉市教育委員会職員3名と石井茂隆千葉市議が同席)。席上、生涯学習部長のいうには、自分[部長本人]も千葉市教育委員会教育長も現地[土気城]を訪問し、ぜひ残したいと考えた、しかし日本航空側に交渉を持ちかけても、今は待ってほしいと、交渉の入り口の段階で拒否されている状況である、ということであった。以後、進展はないまま、今日の事態にいたった。

以上 (2010.1.20 日本航空会社更生手続申立と土気城跡に関する緊急声明 附属文書)